2011.6.6 ブログ始めました

ホームページの新装開店に伴いブログなんて物を始めました。

私ごときマイナーな作曲家のブログなんて誰も見ないと思いますが、自己満足で楽しみたいと思ってます。

私の作品のファンの方、もし来られましたらお声をかけてくだされば 嬉しいです。

2014年1月13日月曜日

私の音楽

先日、ある方からメールをいただき、どのように作曲や編曲を学ばれたのかという質問

を受けましたので、良い機会かと思いブログで紹介することにしました。



生い立ちは、幼少の頃からピアノを習っていましたが、演奏者として才能が無いことに

気づき作曲を志したというところでしょうか。

家庭の事情で専門学校などには行けず、バンド活動やカプコンでの仕事を通しての、

まったくの独学です。



私の作曲はパッチワークって感じです。。

無意識のうちに聴いたことのあるフレーズによく似た物が浮かび、

それをつなぎ合わせて作ってるんような気がします。

当然その中で好みのフレーズが多用されて、それが個性となり

何とか節とか言われるんでしょうかね。

だから、好き嫌い無くいろんなジャンルの曲をたくさん聴いてきましたよ。

詰まるところ、私の作曲はいっぱい音楽を聴くことですかね。



なにも無いところから作品を作り出すのは天才だと思います。

史上初の12音階での曲を作ったハウアーさんはまさしく神だと思います。



編曲に関しては、さすがに思いつきでは解決できないので、音楽理論の本を読み漁り

独学で何とか基本的な物は勉強しました。しかし、応用的な部分はやはりバンド活動

や仕事を通しての実践で経験して得た物がほとんどですね。



余談ですが、私が始めて曲を書いたのが高3の時。

このとき最初で最後の作詞もしています。

恥ずかしながら失恋した勢いで未練たらたらラブソング。キモ~い!

当時のヤマハコンクールPOPCON地区予選で次点(二位)となり

ちょっぴり嬉しかったです。でも審査員の総評で曲は良いけど詩がド素人と言われ

詩を書くのはその時以来辞めています。



ダラダラと偉そうに語りましたが、わたしの音楽の器など小さなオチョコく一杯くらい

なもので、まだまだ死ぬまで勉強や経験をして器を大きくしていきたいと思っています。


2014年1月4日土曜日

今年も悲年

あけましておめでとうございます!!



今年こそは、ただ何も無い平穏な年を願って、

まだがんばろうって決意したばかりなのに・・・・・・・・・・・。



昨年末から、また母が入院しているのですが、担当の先生から血流障害の為

足を切断しなければならないと宣告されました。



切断して助かればいいですが、透析患者で心臓にも病気を抱えている母の手術には

リスクが大きいと先生も悩んでいる状況。でも放っておいても足が腐ってしまうので

選択肢はありません。もし助かってもお互いの生活は大きく変わることになるでしょう。



希望とか夢を持とうとするから悲しいんだ。

「希望」とか「夢」という言葉がこの世から無くなればいいのに!!



新年早々不快な愚痴ですいません。

でも叫ばずにはいられない。

いつまでつづくのでしょう?この悲しみの連鎖。

はたして出口はあるのだろうか?